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~ 子供たちの未来に出来ること ~

1973年に創業しました吉田運送ですが、時代とともに形を変えて現在に至ります。

激動の時代の流れの中、環境問題や少子高齢化などの様々な問題を考えながら、更なるサービス向上のため我々の物語は続きます。

牛乳(原乳)の配送からはじまった私ども吉田運送は、配送ニーズをいかに満たすかを考えサービスを拡張してまいりました。乳牛がお乳をたくさん出すためには、もちろんたくさん食べてもらえなければなりません。そこで吉田運送ははたと気づきました。

 

「だったら牛乳を取りに行くついでに、餌を運べばいいのでは!」

 

そう思ったら、いてもたってもいられません。吉田運送は、必要とあらばそれを行います。牧草はどこに!?

 

 当時も今も、乳牛用の資料となる牧草は海外から輸入しています。ならば、牛乳をとりにいくついでに、港へと牧草を取りに行けばいいのではないか!?

そうすれば、行きには餌を届け、帰りには牛乳を運ぶ。そうすれば無駄もありません。

 のちにコンテナ輸送の革命である内陸港を用いたラウンドユースへとつながる遺伝子はこの頃から確かに息づいていました。

 

 時は経って21世紀。ニーズを満たすために邁進を続ける吉田運送は、効率化・合理化の結果、牛乳を運ぶ事業はいつしか収束し、港に陸揚げされたコンテナにまんたんの牧草を牧場に届ける業務を特化して行っていました。選択と集中の結果ではありましたが、どことなく不足感を覚えます。

 

 というのも、確かに牧草を効率よく運ぶことはできていますが、届けた後空のコンテナをまた港に返しにしかなければなりません。牛乳でも運べればいいのですが、コンテナは船会社のものであり、勝手にその中に牧草の代わりに牛乳をまんたんにして返すわけにはいかないのです。それに牛乳は輸出ではなくて、ほぼすべてが国内で消費されます。コンテナを目的地まで運び、荷物を降ろし、空のコンテナを港まで運ぶ。これは常識でもありました。もやもやを抱えながら、時は過ぎます。

 

 2008年のことでした。ある日、霧が晴れるように、もやもやしていたものが形を取り始めます。

 

 内陸港=陸に港を作り、そこでコンテナの交換を行えばいいのではないか!?

 

 仕組みはこうです。輸出したいコンテナと、陸揚げされたコンテナを陸の港に集めます。そして輸入したいコンテナと、輸出したいコンテナを陸の港でマッチングするのです。牛乳こそ輸出はあまりしませんが、日本には輸出せねばならないものがたくさんあります。そうすれば、港からコンテナを運んできたトラックは帰りには別の荷物をまんたんにしたコンテナを運んで帰れます。空のコンテナを運ぶのではくなく輸出したいものが入ったコンテナを港まで運ぶ。このことにより、本当の意味での効率化が図れるのでははないか!?

 

 まさにコロンブスの卵のような、単純でかつ、しかし常識破りな発想。そうと思いついてしまえば、吉田運送はいてもたってもいられません。牛乳の配送から始まって進歩してきた吉田運送の遺伝子が花開いた瞬間でした。

 

内陸港がもたらしたのは業務の効率化だけにはとどまりませんでした。

・許容量を越えつつある海の港の混雑緩和

・内陸港をハブにすることにより生まれた区間輸送により

 →育児中の女性も働ける環境創出

 →長距離輸送で発生していた長時間労働の削減

・港機能を陸にもっていくことによる、海なし自治体への税収増・地域活性化

・関東平野に横たわる巨大な産業地域=ゴールドベルトの活性化

 など、枚挙にいとまがありません。

 これら多くの効能をもたらす、システムを吉田運送は独占せず、他社との共存共栄をはかり、他社コンテナの受け入れをしています。解放されたシステムが公共性をもたらし、より大きな効果を発揮することを知っているからです。だからこそ吉田運送はラウンドユースのリーディングカンパニーなりました。

 

 そして、2020年という大きな節目を迎える今、国内最大規模をほこる東日本内陸港を擁する吉田運送は、更なる飛躍のために次なる課題解決に臨んでいます。

→VISION 2023に続く……

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